人生を懸けた天職で
娘が誇れる仕事を
小さい頃に両親が離婚し私は、父に引き取られましたが仕事柄、家に帰ることが少なかったため、おじいちゃん・おばあちゃんに預けられ育ちました。記憶に残るのは、学校の運動会や授業参観。見に来てくれるのが、両親ではなく「どうして自分だけ、、、。」と引け目を感じてしまい、ハレの日であるはずの行事が、辛くて堪りませんでした。今思えば、みんなとは形が違っただけで本当に愛されていたのに、そんな気持ちを懐いてしまったことに後悔の念が残ります。
私が塗装道に入ったのは、結婚してからのことでした。養子となり家業である塗装屋さんに入社しました。大きなプレッシャーも感じていましたが、それ以上に、自分でも天職だと感じるほど、楽しさや、奥の深さを感じ、夢中になってのめり込んでいきました。それから数年後。おじいちゃん、おばあちゃんが立て続けに亡くなりました。育ててくれた恩返しも出来なかったと、深い喪失感にさいなまれる毎日を過ごす中、たまたま娘の小学校の近くで仕事をしていると、遠足の帰りの娘のクラスに遭遇しました。気づいた私が、娘に近づくと「パパはおうちを綺麗にするお仕事しているんだよ!」と、汚れた作業服の私を気にもせず、お友達や先生に誇らしげに話をしてくれました。嬉しくて、嬉しくて、堪らず現場の片隅で涙を流したのを今でも思い出します。やっぱりこの仕事が天職でした。人生を懸けて子ども達が誇りに思える手仕事を続けていきたい。その姿で天国のじいちゃん、ばあちゃんを安心させる。これがこの仕事に掛ける私の信念です。