病に泣いた日々が、
己を強くしてくれた
久高島でもずく漁の父、看護師の母との間に生まれました。その後すぐに、脳下垂体機能低下症という難病が発覚。人と同じ生活が出来るようにと3歳から成長ホルモン注射が始まりました。小さい私は、毎日泣いていたそうです。治療の甲斐もあり、普通の生活が出来るようになりました。中学生になり、いつものようにお医者さんに行くと、「先日の検査ですが、男性ホルモンが出ていません。その治療も始めましょう!」と伝えられました。「なんで俺だけ。」と、深く落ち込みましたが、それ以上に落ち込む両親を見るなり「病気と向き合っていこう!」と覚悟が決まりました。
高校卒業後、親戚の紹介でこの道に入りました。不器用ながらも必死に続けていると、職長を任されるまでになりました。家主さんが色を悩まれていた時には「試しに塗ってみてイメージと違えば、その時にまた一緒に考えましょう!」とお伝えしたところ、工事完成後に「あんたに相談して良かった!」と仰っていただきました。何気ない一言かも知れません
が、僕にとっては、小さい頃からの苦労が一気に報われたかのように感じ、涙が込み上げて泣いてしまいました。
「この仕事こそが天職だ!」そう教えてくれたのはお客様でした。独立した今も気持ちは一つ。迷惑掛けた両親に、そして妻と授かることの出来た我が子に、そして生きる道を教えてくれたお客様に、この腕で恩返しし続けたい。これがこの仕事に掛ける私の想いです。
代表 内間 徳也